それでは次は国外編で。今まで私が行ったことのある場所はシンガポール、フィジー、トルコ、バリの4ケ所しかないのですが、なんといっても思い出第一は断トツでトルコでしょう。
この時は仲の良い友人と二人で行ったのですが、まだアラサーと若かった我々は二人共英語も話せないクセに旅行ツアーを申し込まず、泊まるホテルだけ自分達で予約をし、後の乗り物の手配は現地でしようという何とも無謀なやり方で意気揚々と一週間の旅へと出かけて行ったのでした。
けれど案の定、イスタンブールのアタテュルク空港に降り立った時からもう最初のホテルへの行き方がわからず、友人と空港で途方にくれていた所、旅の醍醐味である、たまたま通りかかったトルコに住んでいる人らしき日本人の女性に声を掛けて頂き無事にホテルへ辿り着けたのでした。
彼女との出会いはその後の我々のトルコ旅行に大いに影響を与え、彼女経由で更にトルコ人の親日家のおじさんと出会い、その後そのおじさんにイスタンブールの街を案内して貰ったり、紹介してくれた彼女と一緒に家で夕飯をご馳走になったりしました。彼には「帰る前に又家に寄ってくれ」と言われ、色々な親切に感謝をしながら一旦お別れしました。
トルコの人達は全体的にとても親日派で、旅の間に私達が困っていると沢山の人達が「どうしたのか?」と声をかけてくれ、道を教えてくれたり色々と親切にしてくれたのですが、そんな親切な一面で、街の電車の切符売りの青年や両替所のおじさんが普通にお釣りをごまかし少なく返してくるのには本当に驚きました。それに気づいて「足りないよ?」とジェスチャーすると「あっバレたか?」と笑いながらあっけらかんと残りのお釣りを返してくるのが、日本での生活でそんな状況に出会った事のない我々にはとてもカルチャーショックでした。
そんな日が続くと次第に我々も疑心暗鬼になって行き、例えばホテルにいる時に友人と些細な事から大喧嘩して暫し口をきかなかった時も、街中に出る時にはどちらともなく「これから街に出るから喧嘩してる場合じゃない。一時休戦ね!」と急遽仲直りし、女性同士お互いにガッツリを腕を組んで用心しいしい街へ繰り出したものでした。
けれども親切なのは本当で、例えば有名なエフェソス遺跡へ行こうとしてやはり道に迷い、人通りの少ない道をウロウロしていた時に車で通りかかったトルコ人のおじさんに「遺跡はまだ歩くと結構かかるよ。車で近くまで連れていってあげるよ」と言われ(多分そう言っていた笑)、普通に考えれば見知らぬ外国で見知らぬ人の車に乗るなんて危な過ぎると思うのですが、その時は二人共疲れ過ぎていて思考能力も働かずにそのままフラフラと車に乗ってしまい、まかりまちがえばそのまま誘拐されていても文句は言えないと思うのですが、その人は本当にちゃんと遺跡まで乗せていってくれ、最後に「気を付けて!」と言葉までかけてくれ、とても助かりました。
そして最終日の前日、約束した通り初日に出会ったおじさんの家にお別れの挨拶に行ったのですが、今から思えばその人はトルコ絨毯の商売をやっている人で、彼から絨毯購入を熱心に勧められ、親切にして貰った事もあり断る事も出来ずに私は6万、友人は9万程度の素敵な柄の絨毯を結局購入、友人に至っては「ほら、君のカバンに入るよ」とお土産用に持ってきていたカバンに親切に梱包してくれ、結果彼女は一畳位の大きさの絨毯を空港まで背負って帰る事となったのでした。(勿論私は自宅まで送って貰いました!)成田空港に着いた我々は無事の帰宅を喜び固く抱き合い更に友情を深めたのですが、その時買った絨毯はそれから20年経った今でも友人も私もずっとリビングに大事に敷いてあるので、結局お買い得だったのかも。
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